
こんな方におすすめ
- なぜ左利きは芸能関係に多いのか知りたい人
- 左利きのハリウッドスターが誰か知りたい人
※左手で書く 左利きハリウッドスター 男性11人と意外な3人【前半】は下記リンクから見れます!
-
参考左手で書く 左利きハリウッドスター 男性11人と意外な3人【前半】
実際に左手を使ってファンにサインをしたり、マイクを握ったりしている左利きのハリウッドスター男性11人と意外な3人を紹介します。 こんな方におすすめ なぜ左利きは芸能関係に多いのか知りたい人 左利きのハ ...
続きを見る
目次
左手で書く 左利きハリウッドスター 男性11人と意外な3人【後半】
ヒュー ジャックマン
プロフィール:
本名 | ヒュー・マイケル・ジャックマン |
---|---|
生年月日 | 1968年10月12日(51歳) |
出生地 | シドニー |
国籍 | オーストラリア |
身長 | 188㎝ |
配偶者 | デボラ=リー・ファーネス(1996年 - ) |
家族:両親は共にイングランドの出身で、父親のクリスは会計士。ヒューは、オーストラリアのシドニーで、5人兄弟の末っ子として生まれますが、8歳の時に両親は離婚しました。
離婚後、母親のグレースは、娘2人を連れて英国に戻り、ヒューは、兄弟と共にオーストラリアの父の元に残りました。
母は、娘二人を連れてイギリスへ帰り、父は息子3人の男4人でオーストラリアへ残るという、とてもユニークな環境で育ちました。
この辺りもヒューのユニークで女性にとてもジェントルマンな気質を育てたのかも知れませんね。
その後、ヒューは、成績優秀で地元の男子高で生徒会長を務めました。
その後、シドニー工科大学で卒業認定単位を取得するためにたまたま履修した演劇クラスで演劇の面白さに目覚め俳優を志すことになりました。
その後、演技を学ぶためエディス・コーワン大学の西オーストラリア演劇学校に進学、1994年に26歳で卒業しました。
ヒューの出世作である『X-メン』の監督は、ラッセル・クロウにウルヴァリン役をオファーしていました。
参考
この時、ラッセルは『グラディエーター』の撮影直後であるという理由で断り、その際にラッセルはヒューを監督に推薦したそうです。(オーストラリアのラジオ番組トリプルM104.9FMでのジャックマン本人談より)
こうして、ヒューは、『X-メン』の主役ウルヴァリン役に抜擢されました。
『X-メン』は公開と同時に大ヒットとなり、ヒューはスターダムを駆け上がりました。
後に製作された続編でも彼は主役を演じています。
ウルヴァリンを演じるにあたり、身体を鍛える必要があり、『メンズ・ヘルス』誌によると、ベンチプレス140kg、レッグプレス480kgを持ち上げられるまでになりました。
1996年4月には、オーストラリア人女優デボラ=リー・ファーネスと結婚し、現在は養子のオスカー・マクシミランとアヴァ・エリオットと共にニューヨークで暮らしています。
ヒューは非常に視力が悪く、コンタクトレンズを付けていなければメニューすらろくに読めない。
そして、寿司が大好物です。
さらに、非常な嫌煙家で私生活のみならず劇中でもタバコを吸うことを拒んでいるそうです。
ヒューは、ジャスティンビーバーと同じく左利きの物覚えがいい長所を生かし、ピアノ、ギター、バイオリンを演奏することが出来ます。さらに5つのボールをジャグリングすることが出来きす。
トム クルーズ
プロフィール:
生年月日 | 1962年7月3日(57歳) |
---|---|
出生地 | アメリカ合衆国 ニューヨーク州シラキュース |
身長 | 170cm |
職業 | 俳優・プロデューサー |
ジャンル | 映画 |
配偶者 | ミミ・ロジャーズ(1987年 - 1990年) ニコール・キッドマン(1990年 - 2001年) ケイティ・ホームズ(2006年 - 2012年) |
血筋:トムクルーズの曾祖父はウェールズからの移民で、両親は、アイルランド・イングランド・ドイツなどの血を引きます。
家族:ニューヨーク州シラキュース市で生まれれ、12歳のときに両親が離婚し経済的に苦しい生活を過ごしました。
有名になる前は、新聞配達やホテルのベルボーイのアルバイトの経験もしています。
学生時代は、レスリングに熱中しますが挫折し、その後演劇に関心を持つようになりました。
トムは、幼い頃から失読症(ディスレクシア)の障害を持っていました。
キアヌリーブスも左利きの失読症なのでトムと同じですね。
トムは、自身が失読症であったこともあり、映画『レインマン』や、この障害の理解を推奨するための映画『デイズ・オブ・サンダー』も製作主演しています。
失読症(ディスレクシア)とは、字を読むのが困難なことを特徴とする学習障害です。
トムは、親日家としてもよく知られています。2018年7月時点で23回目の来日をしており、他の俳優と比べても、特に来日回数が多いですね。
ジム キャリー
プロフィール:
本名 | ジェームス・ユージーン・キャリー |
---|---|
生年月日 | 1962年1月17日(58歳) |
出生地 | カナダ オンタリオ州ニューマーケット |
国籍 | カナダ アメリカ合衆国(二重国籍) |
身長 | 188 cm |
血筋:父はフランス系で、母はスコットランド系です。カトリック教徒の家庭で育ち、兄と二人の姉の4人兄妹の末っ子です。
ジムキャリーは、子供の頃からコメディアンになる事を夢見てて、親の反対を押し切って高校を中退し、15歳で地元のコメディ・クラブの舞台に立ちます。
独立心が強い左利きとは言え、高校中退してコメディアンになるためにカナダからアメリカへ単身で挑戦するとはスゴイですね。
その後、19歳でアメリカに移り、スタンダップ・コメディの舞台を経て、
- 「ザ・トゥナイト・ショー」
- 「サタデー・ナイト・ライブ」
- 「ザ・ダック・ファクトリー」
- 「イン・リビング・カラー」
など多くのコメディ番組にテレビ出演します。
そして、1984年に映画デビューしました。
ジムが脚光を集めたのは、まるでアニメから飛び出しようによく動く体と顔ですが、頭の回転が速い左利きさんならではの芸当と言えます。
1994年に、初めて主演した「エース・ベンチュラ」が大ヒット。
同年の『マスク』もヒットし、コメディ俳優としてトップに立ちました。
数あるジムキャリーのヒット作の中でも、このマスクがリメイクが出来ないほどの絶対的な存在感があるので好きです。
近年では俳優業のほかに、子供向けの絵本も出版しています。
また、2017年ごろから、ツィッター上でトランプ大統領などの政治家を皮肉する自作の風刺漫画をよく投稿しています。
ちなみに、ジムのフォロワー数は1800万人を超えて、その風刺漫画はプロも真っ青になるほどの出来です。
この辺りは、左利き特有のマルチタスクに強い特性がありますね。
200 tweets in 1 day pic.twitter.com/dzbNhf24om
— Jim Carrey (@JimCarrey) June 17, 2020
アカデミー賞には縁がなく、『トゥルーマン・ショー』(1998年)、『マン・オン・ザ・ムーン』(1999年)で2年連続ゴールデングローブ賞主演男優賞を受賞しながらも、その年のアカデミー賞ではノミネートすらされませんでした。
ブルース ウイルス
プロフィール:
本名 | Walter Bruce Willis |
---|---|
誕生日 | 1955年3月19日(65歳) |
出生地 | 西ドイツ |
国籍 | アメリカ合衆国 |
身長 | 182cm |
ジャンル | 俳優、プロデューサー、ミュージシャン |
血筋:父親のデイヴィッドは、アメリカ人でアイダホ州のイングランド系の家庭に生まれで、イングランドのほかにオランダ、フランス、ウェールズ、アイルランドの血を引いています。
家族:ブルースの父親は、アメリカ軍を除隊するとニュージャージーに引越しました。
母親は銀行で、父親は溶接工。
ブルースウィリスは、4人兄弟(姉と兄二人)の末っ子です。
ブルースは、高校時代にどもりに悩まされましが、演劇部に所属しステージに立つとどもりが無くなったことも役者を目指す一つの理由になっています。
また、高校時代は生徒会長も務めたことなども、左利きのマルチタスクに強い左利きの特性が表れてますね。
モントクレア州立大学の演劇部に入りましたが3年生で大学を中退し、本格的に役者を目指して活動をはじめました。
その間、ブルースはいろいろな仕事につきました。
- 警備員
- 輸送業者
- 工場労働
- 私立探偵
として働きました。
この色々な仕事をしていた経験がブルースの糧になりました。
その中でも私立探偵の仕事は、ブルースがスターになる転機になりました。
3000人の候補者の中から選ばれた、私立探偵の役『こちらブルームーン探偵社』のオーディションを受け見事合格しました。
このシリーズは、シーズン5まで続き、ブルースはコメディ役者としての地位を確立しました。
1988年ブルースウィルスの代名詞とも言われている『ダイ・ハード』に出演しハリウッドスターとしての地位を不動としました。
この映画の中でブルースは、ほとんどスタントなしで演じています。
左利きの特性とも言える音楽の才能を生かして、ブールスは、レコーディング・ミュージシャンとしても成功しています。
ブルースは、実業でも成功しており、ロサンゼルスに不動産を所有し、マリブの家、モンタナ州の牧場、タークス・カイコス諸島のパロット・キーにある海岸の家が有名。
そして、俳優のアーノルド・シュワルツェネッガー、シルヴェスター・スタローンと共同経営のプラネット・ハリウッドがもブルースが手掛ける事業の一つです。
ロバート・デ・ニーロ、スティーブ・マックイーン、ジョン・ウェインを演技の手本にしています。
モーガン フリーマン
プロフィール:
本 名 | モーガン ポーターフィールド フリーマン |
---|---|
生年月日 | 1937年6月1日(83歳) |
出生地 | アメリカ合衆国・テネシー州 |
国 籍 | アメリカ合衆国 |
身 長 | 187cm |
ジャンル | 映画俳優、映画監督、ナレーター |
家系:父モーガン・フリーマン・シニアは床屋で、母メイミー・エドナは清掃婦でした。
家族:フリーマン家は、ミシシッピ州グリーンウッド、インディアナ州ゲーリーなど多くの地を転々としたあとイリノイ州シカゴに引っ越しました。
モーガンには、4人兄弟で3人の兄がいます。
モーガンは、9歳の時小学校の演劇で主役を務め、12歳の時には州の演劇コンクールで優勝し、高校時代にはテネシー州ナッシュヴィルでラジオ演劇に出演していました。
モーガンが18才の時に、ジャクソン州立大学の演劇奨学金を断り合衆国空軍の機械工となりました。
その後、クリント・イーストウッドなどが通っていたロサンゼルス・シティー・カレッジに事務員として働いたこともあります。
一時期は、ニューヨークにも住んでいたことがあり、1964年に開かれたニューヨーク万国博覧会でダンサーを務めたこともあります。
またサンフランシスコではオペラ歌劇団にも所属していました。
52才の時にモーガンが一躍有名になった作品が、『ドライビング Miss デイジー』と『グローリー』です。
次第に主役級の役柄を演じるようになりました。
そしてハリウッドスターとして不動の地位を築いて当たり役が『ショーシャンクの空に』です。
「一番感動した映画は何か」と聞かれれば、間違いなくショーシャンクを選びます。
この時、モーガンは54才でした。
彼の魅力が一気に開花したこの作品を機に、
- 『ロビン・フッド』
- 『許されざる者』
- 『セブン』
- 『ディープ・インパクト』
- 『ミリオンダラー・ベイビー』
など多くの映画で成功を収めました。
モーガンは、左利きの特徴の一つである頭の回転がいい役柄が多いですが、実際に実業家であり、プロデューサー、そしてナレーターとしても活躍しています。
現在は、ミシシッピ州チャールストンとニューヨークに住んでいます。
モーガンは、自家用飛行機免許を持っています。 ブルースウィルスと同じく、「マディディ」というレストランとブルースクラブ「グラウンド・ゼロ」というレストランを経営しています。
ロバート デニーロ
プロフィール:
本 名 | ロバート・デ・ニーロ |
---|---|
誕生日 | 1943年8月17日(76歳) |
出生地 | アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市 |
国 籍 | アメリカ合衆国 |
身 長 | 177cm |
ジャンル | 映画俳優、映画監督 |
家系:父は、イタリア系及びアイルランド系、母はイングランド、ドイツ、フランス、オランダの血を引いています。
父親のロバート・デ・ニーロ・Sr.と母親のヴァージニア・アドミラルはともに画家です。
家族:2歳の頃に両親が離婚し母親の元で育てられましたが、父親も近くに暮らしていたため父との親交もありました。
少年時代から役者に憧れ、ステラ・アドラーの下で演技を学んだ後に、名門アクターズ・スタジオに通っていました。
ロバートが29才の時に公開された『ゴッドファーザー』でソニーやマイケル役のオーディションを受けて落選します。
しかし、コッポラ監督は、ローバートの演技力を高く評価していました。
その後、『ゴッドファーザー』続編の『PART II』では若きドン・コルレオーネの役をつかみ取りました。
映画でよくある続編ですが、『ゴッドファーザー』だけは『PART I』より『PART II』の方が断然見応えがありおすすめです。何と言っても若き日のドン・コルネオーネ役のロバートデニーロは勝新太郎の座頭市並みのはまり役です。
ロバートは、この役を演じるためにわざわざイタリアのシチリア島まで行きシチリアなまりのイタリア語をマスターしました。
また、マーロン・ブランドのしゃがれた声を真似るために必死の練習をしたそうです。
このゴットファザーの演技が評価されアカデミー助演男優賞を受賞しました。
- ロバートは、映画作品に恵まれ、
- 『ミーン・ストリート』
- 『タクシー・ドライバー』
- 『ディア・ハンター』
- 『ニューヨーク・ニューヨーク』
- 『レイジング・ブル』
- 『キング・オブ・コメディ』
- 『グッドフェローズ』
- 『ケープ・フィアー』
- 『カジノ』
- 『アイリッシュマン』
といった作品に主演しました。
ローバートが左利きの特徴であるマルチタスクを実感させるエビソードがあります。
それは、今でこそ世界中にある「NOBU」ですが、共同経営者であるNobuさんの店の常連客だったのがロバートであり、彼の誘いにより、1993年8月ニューヨーク市トライベッカに「NOBU(NOBU New York City)」を開店しました。
このニューヨーク市のトライベッカとはロバートの生まれ故郷です。
アカデミー主演男優賞を受賞した『レイジング・ブル』では体を鍛え上げボクサー役を演じた後、老いた主人公を演じるために体重を20キロ増やした。このようなデ・ニーロ流の徹底した役作りはデニーロ・アプローチと呼ばれています。
左利き番外編
チャーリー チャップリン
世界のコメディアに影響を与えた唯一無二の存在。
チャップリンの家の使用人がすべて日本人で占められていた時期があったようです。
あの手塚治虫に、「私の漫画の手法はチャップリンなしに考えられない」と語られていたくらい影響力が強かったようです。
スティーブ マックイーン
他の死去した有名人のように商業的に飽和することを避けるため、彼のイメージを使用するライセンスは制限されています。
2007年の時点で、マックイーンの財産は死去した有名人が稼ぎ出す財産のトップ10に入っています。
マリリン モンロー
逆境に強く太く短く生きた。
マリリンの母親は、精神病を患ったため、母親の親友であったグレース・マッキーがマリリンの保護者になったがマッキーが1935年に結婚した後、モンローはロサンゼルスの孤児院へ。
性的虐待及びネグレクトで支配された養家へ連続して送られ、そのせいか吃音症を患うようになってしまった。
まとめ
『左手で書く 左利きハリウッドスター 男性11人と意外な3人【後半】』のまとめです。
ここで11人のハリウッドスターの名前を確認してみます。
- ジャスティン ビーバー
- エミネム
- オーエン ウイルソン
- ベン スティラーズ
- キアヌ リーブス
- ヒュー ジャックマン
- トム クルーズ
- ジム キャリー
- ブルース ウイルス
- モーガン フリーマン
- ロバート デニーロ
ここに登場する左利きのスターの多くに共通する2つのポイントがあります。
それは、「血筋」と「家族」です。
いろいろな国の血筋が混ざっていることと、幼い頃に両親が離婚していることです。
その結果、エキゾチックな顔立ちと逆境の家庭環境を糧にして這い上がって来た人が多いことです。
さらに前編で説明した、左利きのハリウッドスターが多い理由をもう一度振り返って見ると、①左利きは脳の伝達速度が速い ②左利きはマルチタスクに強い ③左利きは好戦的で逆境に強いという3つがありました。
そして、今回ご紹介したスター達の中にも、ジャスティンビーバー、キアヌリーブス、ブルースウイルスなど独学で楽器を演奏しステージに立つマルチタスクな人も多い。
また、若い頃からその才能を開花させ脚本を書いたオーエンウイルソンやベンスティラーなど脳の伝達速度が速いスターもいます。
劣悪な家庭環境から白人ラッパーの星になったエミネムや15歳で高校中退して単身ニューヨークで武者修行したジムキャリーなど自ら戦いの場を求め好戦的で逆境に強い人もいます。
左利きは芸術家が多いと一般的に言われており、ミケランジェロやモーツァルト、ピカソなども左利きだと言われています。
近年の著名人としてはエリザベス女王やオバマ元米大統領も左利きです。
最後に自分ネタですが、ジムキャリーと誕生日が同じだとは知りませんでした。