W杯の対日本戦2対1で日本が1点リードの後半戦で、アザールのクロスからヘディング、フェライニ選手のヘディングシュート凄かったですね。
目次
フェライニ
父は元ゴールキーパー
フェライニ選手は現在、マンチェスター・ユナイテッドのイングランド・プレミアリーグでプレーしています。
フェライニの両親はモロッコ人であり、両親はタンジェからブリュッセルに移住して来ました。
父のアブデラティフさんは元サッカー選手であり、ポジションはゴールキーパーでした。
アブラティフさんはモロッコのプロサッカーチームのラジャ・カサブランカとハッサニア・アガディールでプレイしていましたが、子供の将来などを考えてヨーロッパリーグへの移籍を考えていました。
1972年アルマンが15歳の時にベルギーの一部リーグ(その当時)のKRCメヘレンよりオファーがあったがハッサニア・アガディールはアブラティフさんの移籍を拒みベルギーでプレイすることはできませんでした。
引退後はバスの運転手
アブラティフさんはプロサッカー選手を引退後はベルギーへ移民しました。そしてSTIB(ブリュッセル首都圏交通会社であり、ベルギーの首都ブリュッセルを中心に、路面電車・地下鉄及びバスを運行)でバスの運転手をしていました。
その後息子のキャリアを見守るために早期退職をしています。
マルアン・フェライニの自叙伝
フェライニは8歳の時にアンデルレヒトでサッカーを始めたが、当初はサッカーよりも陸上競技に興味を持っていました。
10,000メートル競走を好んでおり、他の子ども達がバスや車で通学する中、フェライニは走って学校に通っていました。
しかし、自身もサッカー選手であった父、アブデラティフはフェライニがサッカーにより関心を持つように仕向けました。
アンデルレヒトのユース1年目にフェライニは26ゴールを記録しました。
2年目には37ゴール記録しましたが、父親がモンスで新しい仕事に就いたため、フェライニは10歳の時にモンスのユースに移り、3年後にはセラン・ユナイテッドに加入しました。
その後シャルルロワに加入ます。
17歳の時にフェライニは初めてのプロ契約をスタンダール・リエージュと結びました。
高いヘディング能力と運動量
スタンダール・リエージュでは2006年から2008年まで所属し、公式戦84試合の出場で11ゴールを記録しました。
高いヘディング能力と運動量でフェライニはジュピラー・プロ・リーグでもボックス・トゥ・ボックスのミッドフィールダーとしてベスト選手の1人と認識されるようになりました。
2008年にはエボニー・シューを受賞しました。
この賞はアフリカ系の選手の中でそのシーズンに最も活躍した選手に与えられる賞です。
父は現在、息子のエージェントとして働いています。
フェラーニの双子の兄弟
マロアン・フェラニーには2人の兄弟がいます。
ハムザ、彼の兄とマンツアという双子で顔がそっくりな弟がいます。
身長、体重、星座は?
名前:マルアン・フェライニ=バッキウィ
ニックネーム:ジラフロ(キリンの”ジラフ”と”アフロ”をかけてジラフロ)
生年月日:1987年11月22日
出身地:ブリュッセル、ベルギー
高さ:194 cm
重量:85 kg
靴のサイズ:12 US
星座: いて座
まとめ
フェライニ選手のニックネームはジラフアフロと呼ばれているようです。ジラフはキリンで身長が高くて運動能力が高くてアフロなので、その呼び名がついたようです。
フェライニ選手の年俸は約8億円で日本代表の最高年俸の香川選手の6億5千万円より上で控えとはやっぱりベルギーの選手層は厚いですね。