作家で元経済企画庁長官の堺屋太一さんが多臓器不全により8日に死去したことが分かりました。
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堺屋太一さんプロフィール
本名は池口 小太郎(いけぐち こたろう)です。
生年月日 | 1935年7月13日 |
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出生地 | 日大阪府大阪市 |
没年月日 | 2019年2月8日(83歳没) |
出身校 | 東京大学経済学部卒業 |
前職 | 工業技術院業務部研究開発官 |
現職 | 早稲田大学日本橋キャンパスインテンダント |
称号 | 経済学士(東京大学・1960年) 旭日大綬章(2012年) |
略歴
- 1959年 東京大学経済学部経済学科在学中に国家公務員採用上級試験(経済)合格
- 1960年3月 東京大学卒業
- 1960年4月 通商産業省入省、通商局通商調査課
- 1965年 通商産業省企業局企業第一課国際博覧会調査室
- 1972年 沖縄開発庁沖縄総合事務局通商産業部企画調整課長
- 1974年 通商産業省工業技術院研究開発官
- 1978年10月 退官、執筆評論活動に入る
- 1998年7月 経済企画庁長官に就任(~2000年12月)
- 2000年12月 内閣特別顧問(~2004年9月)
- 2002年4月 東京大学先端科学技術研究センター客員教授(~2004年3月)
- 2004年4月 早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授(~2006年3月)
- 2006年4月 早稲田大学特命教授
- 2008年4月 関西学院大学専門職大学院経営戦略研究科客員教授(~2009年3月)
- 2009年6月22日 富士ソフト株式会社取締役(~2010年9月)
- 2011年12月 大阪府特別顧問、大阪市特別顧問、大阪府市統合本部特別顧問
- 2012年3月 維新政治塾名誉塾長、講師
- 2013年8月 内閣官房参与
有識者の声
田原総一朗さん
「経済を見る目とても信頼してた」
堺屋太一さんが亡くなったことを受けて、ジャーナリストの田原総一朗さんはツイッターを通じて、「堺屋太一さんに初めて会ったのは、まだ彼が通産官僚の時代だった。彼は大阪万博を企画し、実現した人物で、『油断』という小説は極めて迫力があった。日本の経済を見る目は確かで、僕はとても信頼していた」とコメントしました。
自民 岸田政務調査会長
「本当にさみしい」
自民党の岸田政務調査会長は、記者団に対し、「私の父が、旧通産省出身ということもあり、公私にわたって大変親しくさせてもらい、私自身、いろいろなところで、ご指導をいただいた。本当にさみしいものを感じている。ご冥福をお祈りするとともに、さまざまなご指導に改めて心から感謝を申し上げたい」と述べました。
合掌→作家の堺屋太一氏が死去 | 2019/2/10(日) - Yahoo!ニュース https://t.co/Ai3nK3Biej @YahooNewsTopics
— 高橋洋一(嘉悦大) (@YoichiTakahashi) 2019年2月10日
学生の頃、ぼくはいろいろな懸賞論文に応募して、受賞していただいた賞金でオペラや歌舞伎を見たり、本を買ったりしていました。ある時選考委員長が堺屋太一さんで、ご褒美として堺屋さんの講演を間近で拝聴しました。感動しました。この方こそ知の北極星だと感じました。心からご冥福をお祈りします。
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2019年2月10日
堺屋太一 売れ筋ランキング
第1位:平成30年(下)

レビュー:ちょうど今から14年前に書かれた小説。
今年、平成30年。 今だからこそ読む価値があると思う。
先見性のある内容… 今でも何もできていない日本。
さあ、今夜から下巻。
第2位:平成30年(上)
レビュー: 父の本だった気がする。
気づけば今年は平成30年だ。答え合わせの為に再読したい。
第3位:団塊の世代
レビュー:本の存在はもちろん知っていたが読んだことはなかった。お気に入りの古本屋さんで見つけ購入100円。まさしく我らが世代、団塊の世代。35年前に書かれたという事に驚く。
35年前に読んでたら今ほどの感慨は無かっただろう。毎日が日曜日のわが身だからこそつくづく思う。「その通り!」
第4位:豊臣秀吉
レビュー: 堺屋太一の小説とはどのようなものか。
豊臣秀長のことより、先にそちらに興味がわきこの本を手にとった。
それくらい豊臣秀長という人は興味を引く力が弱いのかもしれない。小説の中でも示しているが、豊臣秀吉の弟ということで有名であるが、その業績をたたえるものがない。
伝記とかも読んだことがない。小説を読んでいくと気づく豊臣秀長の多大なる業績の数々。
第5位:豊臣秀吉(下)
レビュー: この物語の結末は、主君信長が本能寺の変で急死した後、後継者争いで秀吉と勝家が雌雄を決した賤ヶ岳の戦いで幕を下ろす。
あれ?秀長が死ぬまでやらないの?
その後、秀長が死ぬまでの歴史は、「あとがき」として、ダイジェストで語られます。
不思議な終わり方でした。
そこは正直不満でしたが、面白かったですよ。
まとめ
83歳とは少し早い気がします。
官僚からスタートして、作家、そして民間人で初めての登用されて経済企画庁長官として政治家になりました。
その後、東京大学や早稲田大学の教授として活躍後、2009年に富士ソフトの取締役に就任しています。
2011年には大阪府特別顧問などの重責をこなして、最後は2013年に第2次安部内閣の時に内閣官房参与を務められました。
官僚からスタートして、作家、政治家、教育者、管理職、そして顧問や参与などの重責を一人の人間が出来ることがスゴイと思います。
年号が変わる節目の「平成31年」何が見えていたのでしょうか。
ご冥福をお祈り申し上げます。