スポーツ選手、中でも野球で活躍した選手の奥様は姉さん女房が多いようです。
そこでイチロー 野村 落合に共通する姉さん女房の成功術について調べてみました。
目次
イチロー 野村 落合に共通する姉さん女房の成功術
プロ野球の姉さん女房列伝
イチロー・野村・落合以外にもプロ野球を見渡すと、"姉さん女房"は何人もいます。
新旧の姉さん女房を持つ選手は?
- 前田健太投手 ドジャース(3歳年上)
- 田中将大投手 ヤンキーズ(3歳年上)
- 江川卓さん 元巨人(6歳年上)
イチロー選手

日本人野手初のメジャーリーガーとして、海を渡って19年。
「孤高の天才」「求道者」などと評され、周囲の人々に近寄り難い印象すら与えたイチロー(45才)が引退しました。
その彼のそばに寄り添い続けた妻・弓子さん(53才)は、彼の最愛の人であり、最大の理解者でもあった本人も述べています。

これまでメジャーリーグを2000試合取材したスポーツジャーナリストの古内義明さんは、「イチローの大活躍は弓子夫人あってのもの」と指摘しています。
「イチロー選手が19年間のメジャー生活で一度も大きなけがをしなかったのは間違いなく弓子夫人が万全のサポートをしたからです。彼女は日々戦う夫と同じ目線や熱量を持ち、“選手のような気持ち”で夫を支え続けたと思います」
スポーツジャーナリスト古内義明氏
イチローは、元TBSアナウンサーの福島弓子さんと1999年12月に米ロサンゼルスで結婚式を挙げました。
「秘密主義のイチローらしく、交際宣言や婚約宣言は一切なし。師と仰ぐ仰木彬監督(享年70)にも留守電で結婚を伝えただけのまさに電撃婚でした」
スポーツ紙記者
結婚翌年にイチローはマリナーズと契約し、新婚夫婦は海を渡ります。
異国での生活を仕切ったのは、弓子さんでした。
「結婚当初、“私にできるのは、彼が野球だけに集中できる環境を作ること”と言っていたのを覚えている方も多いと思います。
そしてイチロー選手が実際に、シアトルに渡る前から家探しや買い物まで、弓子さんが得意の英語を生かして生活の準備を進めたという話は有名です。
慣れない新生活においても、天才肌のイチローは何事にもこだわりが強かったので、その分人一倍苦労したことは言うまでもないようです。
イチローのプロフィール
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 愛知県西春日井郡豊山町 |
生年月日 | 1973年10月22日(45歳) |
身長 体重 | 5' 11" =約180.3 cm 175 lb =約79.4 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1991年 ドラフト4位 |
初出場 | NPB / 1992年7月11日 MLB / 2001年4月2日 |
最終出場 | NPB / 2000年8月27日 MLB / 2019年3月21日 |
年俸 | $750,000(2019年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
愛知工業大学名電高等学校 オリックス・ブルーウェーブ (1992 - 2000) シアトル・マリナーズ (2001 - 2012) ニューヨーク・ヤンキース (2012 - 2014) マイアミ・マーリンズ (2015 - 2017) シアトル・マリナーズ (2018 - 2019) |
イチロールーティンを完璧に
生活の全てを野球のために賭けていたと言っても、決して過言ではないイチローは、翌日の試合を逆算して、寝る時間、起きる時間などすべての時間を決めていたそうです。
車で聴く音楽も気に入ればその曲だけを聴くほどの徹底したこだわり主義であり、イチローの私生活を支えるため、弓子さんはいくつものルーティンを完璧にこなしていたようです。
多方面に及ぶ弓子さんの献身
遠征の多いイチローのため、弓子さんは下着にアイロンをかけてきれいに折り畳み、遠征先で身につける順番に沿って荷造りしていました。
体のケアにも手を尽くし、ホームの試合後にイチローが帰宅したら、30分以上も足裏をマッサージしていました。
精神面でもサポート
「孤高の天才」を精神面でもサポートは完璧でした。
イチローが不調で落ち込んでいる時は愚痴の聞き役になります。
“もう少しだけ頑張ってみよう”“打てなかったら仕方ないよ”などと、子供をあやすように優しく励まします。
ヤンキースへの移籍秘話
2012年には成績が上がらず苦悩していたイチローに、“ほかの球団に行ってもいいのよ”と背中を押し、ニューヨーク・ヤンキースに移籍することになりました。
姉さん女房
それでいて弓子さんは何でも“はいはい”と聞くのではありませんでした。
イチローが感情的になっていたら“それはダメ”と客観的にビシッとつけはなすなどして、姉さん女房ぶりを発揮しています。
表舞台に立たない理由
弓子さんが表舞台に立たなかったことにも理由があります。
彼女はイチローの勧めでシアトル市内に美容エステサロンをオープンし、夫の資産管理会社も立ち上げました。
野球以外のすべての世話をする弓子さんはイチローにとって“同志”のような存在になっています。
100人に一人の選手と妻
イチローは報道陣が彼女に群がるのを避けるため、“マスコミの前では笑うな”と言い聞かせて、弓子さんはその教えを忠実に守っていました。
その一方で、イチローは親しい人に“弓子には本当に感謝している”と漏らしています。
イチローが「100年に1人の選手」なら、弓子さんは「100年に1人の妻」であることに間違いはないようです。
野村克也

プロフィール
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府竹野郡網野町 (現・京丹後市) |
生年月日 | 1935年6月29日(83歳) |
身長 体重 | 175 cm 85 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 1954年 |
初出場 | 1954年6月17日 |
最終出場 | 1980年10月4日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
京都府立峰山高等学校 南海ホークス (1954 - 1977) ロッテオリオンズ (1978) 西武ライオンズ (1979 - 1980) | |
監督・コーチ歴 | |
南海ホークス (1968 - 1977) ヤクルトスワローズ (1990 - 1998) 阪神タイガース (1999 - 2001) 東北楽天イーグルス (2006 - 2009) |
野村克也引く沙知代もゼロ
人はいろいろ言うけど、オレにとっては良い女房や。あいつはプロ野球選手の妻としては最高や
野村克也
野村さんは沙知代さんとの結婚生活を以下のように振り返っていました。
「典型的なかかあ天下だった。男心を認識してくれて何の苦労もなかった」姉さん女房の沙知代さんはプロ野球選手の女房として満点だったようですね。
落合博満
プロフィール
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 秋田県南秋田郡若美町 (現・男鹿市) |
生年月日 | 1953年12月9日(65歳) |
身長 体重 | 178cm 82 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 一塁手、三塁手、二塁手 |
プロ入り | 1978年 ドラフト3位 |
初出場 | 1979年5月29日 |
最終出場 | 1998年10月7日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
秋田県立秋田工業高等学校 東洋大学(中退) 東芝府中 ロッテオリオンズ (1979 - 1986) 中日ドラゴンズ (1987 - 1993) 読売ジャイアンツ (1994 - 1996) 日本ハムファイターズ (1997 - 1998) | |
監督歴 | |
中日ドラゴンズ (2004 - 2011) |
落合さんは妻の信子さんについて自著(「なんと言われようとオレ流さ」講談社刊)でこう述べています。
うちのカミさんはいいカミさんだ。ひと言で言うと、頭のいい女。機転がきくというか、先が読める。気配りもできるしね。おかげで、独身のころに比べると、こっちもずいぶん変わった。(中略)驚くほど家庭的な男になったから不思議
なんと言われようとオレ流さ
結婚1年目に三冠王
1979年、ドラフト3位でロッテに入団した落合さんは、プロ入り4年目の82年、史上最年少(28歳)で三冠王に輝きました。
活躍するにつれて年俸もどんどん上がり、1983年には5000万円を突破しました。
毎晩、球場から盛り場へ直行する生活を続けていたそうです。
ところが、信子夫人と結婚してから落合さんの生活態度は一変しました。
お酒もほどほどにまっすぐ家に帰るようになったといいます。
結婚していちばん変わったところと言えば、ここだろう。今は夜中の一時にはもう寝ているからね。おかげで、朝十時には目がさめるし、デーゲームでもちっとも苦にならない。遠征のときですら、ホテルから出て歩くことが少なくなった。
なんと言われようとオレ流さ
落合さんが信子さんと結婚したのは84年オフのことでした。
翌85年、落合さんは打率3割6分7厘、52本塁打、146打点をマークして2度目の三冠王に輝いています。
三度目の三冠王を獲得
さらに1986年には2年連続、通算3度目の三冠王を獲得しています。
まとめ
イチローさんの弓子夫人は表に出ることはあまりなかったようですが、それに対して野村さんの沙知代夫人と落合さんの信子夫人はメディアにもよく出ていたような思います。
三人に共通する点は結婚してからの成績がダントツでよくなったことです。
イチローさんのマリナーズでの活躍、落合さんの前人未到の3度目の三冠王、そして野村さんは結婚してからヤクルトの監督に就任して日本一なりました。
このようなプロ野球史上初と言われる快挙の陰には姉さん女房の内助の功があったことは言うまでもありません。
恋人から結婚して夫婦に、そして最後は”同志”になって行く過程で深い絆が築かれていますね。